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帰れない人々、あるいは帰還不能の場合2

「ダライが帰ルまでは、帰らん、ノです」
ひどいチベットなまりのネパール語だが、聞き間違いではなかった。
頭に回した三つ編み髪にターコイズブルーの耳飾り。
チュバこそ着ていないが、汚れた緋色のジャンバーがやはりチベット人好みで、
日焼けしてしわくちゃの顔に映える、初老のじいさん。

アンナプルナ周回路の村、ピサンでのことだ。

ピサンの村は、丘の上に要塞みたいにできたチべタン風味の村で、ジモティー住居部の上ピサンとトレッカーご用達ホテル村の下ピサンに分かれている。
標高は3000メートルほどで、風景も沙漠と岩山雪山青い空と、これも見事なチベット風味。
アンナプルナ一周トレッキングをしていた私は、ホテル村の下ピサンに宿をとると、高度純化もかねて、散歩がてらに上ピサンへ遊びに行った。

村は、小さいながらもごちゃごちゃと家が軒を連ねていたりして、ちょっと迷路気分を味わうこともできる場所もあり、一軒の家の入口を覗けば、かまど脇で婆さんがドンモでお茶を入れていたので、金を払って飲ませてもらうことにする。

ああ、かまど脇で飲むバター茶は、とても素敵である。

この脂っこい塩味の茶を嫌いな外国人は多いが、お茶と思わなければ、薄味のバタースープのようで、とてもおいしい。断るまでジャンじゃがオカワリも注いでくれるので、高度順化に必要な水分もたっぷりとれ、麦焦がし粉のツァンパや干し押し米のチウラと食べれば、食事にもなる。で、撹拌機のドンモで茶を作っているのを見かけると、ついつい飲ませてもらうのである。

ネパール語ができるようになってからは、あまり外国人扱いされなくなり、飯や茶は、かまど脇で家の人たちと取ることが多くなっていた。外国人トレッカーはよく高い燃料代のかかるわりには冷え冷えとしたロッジの立派な食堂で食事などを取っているが、実は台所のかまど脇は温かく、ちょっと煙いが上等の場所で、ヒンドゥー教徒と違い火の穢れを気にしない仏教徒の田舎の人々は、肩ひじ張らない客をよく、この席へと招くのである。

そうして、婆さんと「お前はどこからきた」だの「日本に行くにはバスでどのくらいかかる」とか、かまど脇の低い腰かけに座って「いつもの世間話」などしていると、一人のじいさんがぬっと、私の前に腰を下ろし、茶を飲み始めた。一般にネパール人は小柄な人が多いが、そのじいさんは大柄なチベット系の住民と比べても、かなり骨太で長身だった。最初は婆さんとチベット系の言葉に何か話しこんでいたが、私に目をとめると

なんだ、ガイドじゃないのか

とかなんとか、私をネパール人山ガイドだとおもっていたらしい。日本から来た、とネパール語でいうと、しばらくして、自分の話を、ぼそぼそと始める。

私、チベットから、来た。チベットから、ダライラマ、出て行ったあと、ここ来た。
チベット、にはそれから、戻てない。ダライ、戻ルまで、チベットには帰らんノです。

あとは、黙って茶をすすり、じいさんはどこかへいってしまった。
後に残った婆さんにも詳しい話を聞くような感じでなく、私もそのまま、下ピサンのトレッカー宿へと戻った。

翌日から後、マナンギの大集落、マナン村など抜け、周回路の難所、トロン峠を越え、反対側の下ムスタン谷へ出る。下ムスタンからチベットへ抜ける上ムスタンはローマンタン王国のある場所で有名だが、入域料金が高額で、旅行者が一般的にトレックする場所でもない。上ムスタンの入口のカグベニ村に宿をとり、

あーこのルートから逃げてきたんだよなぁカルマパ活仏、

などとボーっと考えていると、
ふと昔読んだことのある本の一部を思い出した。チベット動乱とネパール側チベッタンの抵抗運動について書かれた本だった。

たしかー、このあたりに中国軍に抵抗するカンパの連中がいたんじゃなかったかしら。

アメリカの某諜報機関がチベットのカム地方から来た抵抗軍を組織して、このあたりの場所で訓練していたとか本には書かれていたはずけど、私には実際、本当かどうかわからない。

ただ、あのじいさんは、そのなれの果てもかも、と思わせるような年恰好だったなぁと、宿の台所でバター茶をすすりながらちょっと考えたのだった。

あのトレッキングから10年以上がたったが、じいさん、どうなったのか。
ダライラマは、チベット亡命政府があるインドのダラムサラからチベットへは、

まだ、帰還していない。

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